ライカ親爺のうんちく(4)

距離計

世界最大級の距離計は、ご存じだろうか?

旧日本海軍の、戦艦大和と武蔵に搭載された日本光学製の測距儀である。基線長15メートルといわれる。宇宙戦艦ヤマトの艦橋の上部にあるレーダーアンテナ部(横長の網状の部分)に積まれていた。電子技術が遅れていた日本海軍は、米軍のようにレーダーによる無照準射撃はしていなかった様で、測距儀と見張り員と、射撃指揮装置によって射撃を開始していた。大和も武蔵も対艦艇射撃はしているが、無照準ではないと思う。詳しい方がいらっしゃれば、お教えいただけると幸いである。


話戻って、ライカが発売されたころ既にライツ社は距離計を生産していたが、当時、ドイツにいた旧日本陸軍の石原莞爾は、カメラ店でライカを買おうとしたら“おやめなさい。距離計を売りたくて作ったカメラです”と言われたとされる。戦前の写真機の本(アサヒカメラを含む)を見ると、今でいう連動距離計の事を自動焦点と云っていた。目測の時代に、ヘリコイドをまわして、ピントが合うのだから、まあ良しとすべきか。なお、石原莞爾が、最初にライカを日本に持ち込んだという説があり、購入したのは500番台のボディだという。当時の輸入代理店シュミット商店に入荷したライカは、800番台末の様なので、相当早いと思われる。


バルナック型の、距離計光学系の間にファインダー光学系のあるスタイルは、特許で守られ、その為精機光学はビックリ箱のハンザキヤノンを作り、レオタックスはフレーミングファインダーを、正面右一杯に持ってきたので、十数ミリの基線長となり、コンタックⅠ(ブラックコンタックス)はボディを煉瓦の様なボディデザインにして、基線長を稼いだ。現行の、フレーミングとフォーカシングが同一ファインダーで出来るのは、ツアイスが早かったが(一眼式)、フレームの自動切り替えは出来なかった。

標準レンズ以外は、別にファインダーが必要とされたバルナック型にクレームのあったライツ社は、改設計を戦前から行い、出来たのがM3である。図のようにプリズムを多数使い、距離計の縁の部分もはっきり見えるファインダーを作り上げ(実像/実像式ファインダーと言う事がある)コピーライカメーカーに、一石を投じた。やっとバルナックタイプを作れるようになった国内メーカーは脱落(倒産)するか、一眼レフに舵を切った。キャノンは1960年代末まで距離計連動機を作り、ニコンはS3の再生産を前回の東京オリンピックに行い、2000年記念としての再々生産を行い、SPも再生産を行った。


ニッカはヤシカに吸収合併され、レオタックスは倒産し、消滅した会社は多数ある。コンタックスはマウントの問題もあったが、フレーム自動切り替えが出来ず、1961年位に生産を終了した。その後、報道関係からの希望により、M2ではファインダー倍率を、それまでの0.91倍から0.72倍に変更の上、35ミリファインダー枠を入れて光学設計変更を行った。そのファインダーをベースに、現行のMデジタルまで使われている

Ⅲfのファインダー光学系

M3のファインダー光学系

両図共に写真工業出版社刊 ライカの歴史より借用