この橋は、私が毎日のように渡る、目黒川に掛かる「目黒新橋」です。
目黒の名坂「権之助坂」の途中、目黒川の上に掛かる橋で、坂の名称と共に都内ではちょっと名が知れています。
坂と橋の名前の由来に諸説あり、私はこの橋を渡る時に度々その由来を思い出し、しみじみと感謝の気持ちを抱かせられるのです。
江戸時代に、この近辺に菅沼権之助という名の名主が住んでおり、一説によると権之助はこの「新橋」が掛かる権之助坂を許可なく切り開き、お上より罪に問われ刑に処されたと言われています。
この坂が新設される前は、人々は隣の激坂「行人坂」を上り下りする他なく、急坂故に事故が多発していたそうです。大八車ごと人と馬が目黒川に転落したこともあったそうです。
人々の安全を案じた権之助は、処罰されることを覚悟しながらも、新坂と新橋の建設に着手したのです。
また、別の説によると当時、年貢の取り立てに苦しむ民に替わって、権之助が取り立てを緩めてもらえるようお上に直訴し、その行為が罪に問われ刑に処せられることとなった。刑場に引かれていく途中馬上から生まれ育った我が家を見下ろし、言葉なく懐かしい思いと共に見つめたそうです。
民は、権之助の功績をたたえ、彼が最後に振り返ったこの坂を「権之助坂」と呼ぶようになった、と言われています。
歳のせいか、暮れなずむ橋を見つめながら、感傷に浸りレモン社で買った一昔前の「ソニー サイバーショットDSC-900」で何枚か撮りたくなりました。