我が懐かしのミノルタカメラ Part1

ミノルタの歴史と変遷

ミノルタは2003年にコニカと合併し、コニカミノルタになり、2006年にカメラから撤退し現在はカメラの製造はおこなっておりませんが、ミノルタ時代にも数多くの名機や歴史的なヒット商品を生み出しました。

私事ですが、私も高校生の時にアルバイトで稼いだお金でミノルタのSRT101を購入しました。

その後、α7000α7700も使って、少し前までソニーのデジタル一眼を使っていました。

ミノルタがカメラから撤退してさびしい思いをしたユーザーも多くいると思いますが、私もその一人です。

ただ、αシステムについてはソニーが引き継ぎましたので、ミノルタからソニーユーザーになられた方もたくさんいらっしゃいます。


ミノルタカメラは1928(昭和3年)に当時29歳であった田嶋一雄氏によって設立されました。

創業以来ミノルタが生み出したカメラは優に300種を超えます。


ミノルタは1972(昭和47年)当時の西ドイツのライツ社と技術提携をしました。

名門ライツ社が外国企業と技術提携するのは初めてのことでした。

それだけ、当時のミノルタの技術力が高く、世界に認められた証でもあります。

この提携にもとずいてライカCLが開発され1973(昭和48年)に発表されました。

日本国内ではライツミノルタCL,海外ではライツ社によりライカCLとして発売されました。



ミノルタカメラの広告戦略と買取価格 (2018.5現在)

ちなみに、今ライツミノルタCL買取価格は上限で18,000円です。

ライカCLの買取価格は上限で31,000円です。

この後、ライツ社の一眼レフ R3R4等にもミノルタの技術協力があったことは

よく知られています。

ちなみにR3の買取価格は上限で7,000円です。R4の買取価格は上限で7,000円です。


ミノルタはマーケティングにおいても話題を集め、一世を風靡しヒットした商品が多くあります。

1973(昭和48年)に発売されたSRTスーパーはテレビCMに愛川欽也研ナオコを起用し「美人しか撮らない」のキャッチコピーでヒットしました。

1974(昭和49年)に発売されたXEの広告には篠山紀信を使って話題になりました。

XEは前年に発売されたフラッグシップ機のX1のAEファインダーを固定にしてスペックダウンした中級機です。

ちなみにX1の買取価格は上限で14,000円です。XEの買取価格は上限で1,800円です。


1977(昭和52年)に発売されたXDのCMにはハリウッド女優のキャンディス・バーゲンを起用しました。

1980(昭和55年)に発売されたX-7の広告には今高学歴タレント・クイズの女王として活躍している宮崎美子を使って、宮崎がジーパンを脱ぐシーンが話題になりました。

その時のCMソングを歌ったのが斎藤哲夫というシンガーソングライターです。

X-7は1979年発売のXG-Eからマニュアル露出を省き絞り優先AEのみとした普及機です。

ちなみにX-7の買取価格は上限で1,800円です。XG-Eの買取価格は上限で1,800円です。


続きは次回に掲載いたします。