カラーフィルム
ご存知のように、フィルムカメラが人気である。フィルムやフィルムカメラについてのうんちくを暫くの間書かせていただく。
今と同様のカラーフィルムは、第二次世界大戦前に米国コダックと独逸アグファから、発売された。
コダック製は、スライド上映用のコダクロームで、エクタクロームは、大戦中に航空撮影用に開発されたものをベースに、第二次大戦後発売された。
アグファもスライド上映用である。何が違うのか?コダクロームは特殊な方式で、研究室でないと真似が出来ないほど難しい。
日本の2社はどうしたかって?小西六(現コニカミノルタ)は、昭和16年晩秋、2社と同様スライドフィルムを発売したが、太平洋戦争勃発につき、ごく僅かの生産で終了したと聞く。
富士写真フィルム(現フジフィルム)は戦後になって発売したが、1950年の高峰秀子主演木下恵介監督の松竹映画“カルメン故郷へ帰る”にフジカラーフィルムが使われ、日本映画初の総天然色映画の名誉を得たが、フィルムの安定性と低感度で苦労したという。
アグファは欧州大戦の影響で入手不可能、コダクロームは洋行帰りで入手しても、国内現像は出来ずに海外送りになり、戻ってくるまでに数ヶ月かかったらしい。戦前のコダクロームをお使いになった方に、親父はお目にかかったことはなく計算すると、ご存命の可能性はとても少ない。
長瀬産業が、戦前にイーストマンコダックの代理店開始時に、映画フィルム現像所として立ち上げたコダクロームの指定現像所東洋現像所は、イマジカに社名変更時に映画部門と写真部門とに分離し、KJイメージングとなった。
}小西六と富士は、輸出の問題でそれまでの独自処理から、コダック互換処理となり、各県にネットワークを作ったが、コダックは各県ネットワークが出来ずに、小西六系に依頼している事が多かった。
デジタルカメラの成長に伴い、フィルム使用量が減り、現像所の統廃合が続き、小西六(コニカミノルタ)の写真事業終了に伴うフィルム終了。優良企業でアメリカの象徴の1つでもあったイーストマンコダックの倒産、フジのフィルム品種の削減となる。
カラーフィルムを生産できる国は、少ない。髪の毛と同等の厚さで、十数層薬品が塗られるという超精密さだ。その技術は色々な所に応用されている。