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【コラム】カメラ今昔物語 【キヤノンF-1編】

こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です

今回は、キヤノンの最高峰一眼レフF-1シリーズにまつわるお話です


プロ用カメラの開発

前々回のブログでもお話したように、こんにちの一眼レフカメラにおいて
キヤノンはトップブランドとして揺るぎないものとしております

しかし当初からその地位にいたのかと言えば答えは『NO』でした

一眼レフの始まりは、今から約60年前の1959年に初号機キヤノンフレックスを祖とするRシリーズの発売。

「スーパーキャノマチックシステム」という完全自動絞り機構(通称Rマウントシステム)やファインダー着脱など画期的な仕組みを持ちながらもこのRシリーズは短命に終わります。

それは初代フレックス発売と同じ年に、ライバル社ニコンがプロの使用にも耐えうる最上位カメラ『F』を発売。


他社を凌駕するシステムと完成度の高さ、様々な現場にも耐る圧倒的な堅牢さは数多くのプロカメラマンの支持をうけ世界を席巻します。


それも、その筈でニコンはレンジファインダの「SP」を開発、発売するのと並行して一眼レフ型カメラ、「ニコンF」を1956年から開発していたという裏が・・・。
諸説ございますが、ニコンではS2発売直前に「ライカM3」の発売を受けて、すぐさまS2の改良に取り掛かっただけでなく「レンジファインダのままではもうこの先勝負にならない!」と一眼レフの開発に踏み切るどころか「S2の次のカメラは一眼レフで行く」と日本光学社内では一眼レフへの大転換を決定していたそうです。

しかし、当時最大のお得意先アメリカ合衆国の販売代理店(エーレンライヒ)から「いや!新機種はレンジファインダで出してくれ!!せっかく「Nikon」と「Nikkor」の知名度が上がって売れてるレンズとカメラが売れなくなるし、そんな未知のもの失敗したらどうする!」と横やりが入ってしまった結果1957年に生まれたのが「SP」、そして僅か2年後に「F」が登場とそれがニコンにとって最高の結果をもたらしただけでなく、新たなカメラの世界まで生んでしまった様です(余談ですが、先の経緯もあってかSPはS2の後継機でなくて「Sシリーズのプロフェッショナル向け」「Sシリーズスペシャル」と位置づけされ、S2後継機はS3と公式に言われております。)

かたやキヤノンはまだまだ未熟な所も多いRシリーズの後継となるFシリーズを1962年より投入しますが、中級機・普及機の域を脱する事が出来ずニコンの牙城を崩す事は容易ではありませんでした。

この時点までで、キヤノンとニコンの絶対的に違った所は「レンジファインダを止めきれなかった所」。
ニコンでは、レンジファインダーのSシリーズ、SP以降はS3とちょっとだけのS4のみ(他にS3Mや追加生産型などありましたが)とFシリーズに注力したのに対し、キヤノンはキヤノンフレックスと同年に発売のP(ポピュレール)、7と「まだまだ売れる」レンジファインダ機の開発、生産を続けた事も大きかったと。

また「キャノネット」「デミ」など爆発的ヒット商品もありそちらも「キヤノンは高級品もあるけどお値打ちカメラもあるメーカー」なイメージ付けもあったかもしれません。(ニコンは「Fシリーズ」以外はたとえ一眼レフでも「ニコンは名乗らせない!」という程今でいうブランディングが徹底していた。まあ、さすがにカメラが大衆化しきって来た1976年頃からは変わるのですが)

そこで「打倒ニコン!」の一念でプロ用カメラの発売を目指し1965年よりプロジェクトがスタート。

約5年の歳月と技術の粋を集め、最高級カメラ『F-1』を誕生させるのでした。

前年に登場していたニコンFの後継機F2の完成度の高さにも負けないくらいに非常に完成度の高いカメラの誕生、新たに投入されたFDレンズなど充実したシステム群を伴って・・・。

 


10年不変の約束

こうして登場したF-1。発売当初に『10年は不変』とうたわれました。

『その期間は第一線で活躍できる』との想いが込められたものと説明されました。
とはいえ、改良を怠った訳ではなく5年目を迎えた1976年に大幅な変更が行われます

これらは特にプロカメラマンからの要望を真摯に受け止め前向きに取り組んだ結果と言われております。
そして、この頃にはもう一つプロの現場でも大きな変化が起こっており、「カラーフイルム」を使う仕事が大幅に増えていた事、そして35ミリフイルムの画質や現像、焼き付け、印刷技術が業務レベルで充分耐えうるものに向上した「カラー化革命」が起こったのが70年代。
もちろん業務用だけでなく民生レベルでも現像所の充実などで「カラー写真」が爆発的に増えて行ったのもこの頃。
そう、丁度40代くらいの方からは「生まれた時からの写真はカラーばっかり」という方が多いのではないでしょうか。
それに対してFDレンズシステムが「カラーフイルムでの使用」を前提にしたS.S.Cレンズシリーズやなどの充実でキヤノンを使用するプロカメラマンが特にコマーシャルの分野で急増していたのがありました(まだまだ報道は「質実剛健と過去から培った信頼のニコン」の天下でしたが・・・)

この76年を境として、それまでのモデルをF-1(または前期型)、それ以降をF-1N

(または後期型)と区別するようになりましたが、10年不変の約束の通りモデル名は

『F-1』で統一されています

ちなみに、その間に開催されたモントリオール夏季五輪(76年)及びレークプラシッド

冬季五輪(80年)でキヤノンは公式記録カメラの認定をうけ、それぞれの大会用の

記念モデルが発売されています


その装いまさに合体ロボット風

さて、いくつの逸話が残る『F-1』ですが、時あたかも10年不変の約束を果たしたかのように1981年にフルモデルチェンジが行われます。

それが今でも数多くのファンが多い『New F-1』です

 

外見的にはホットシューや露出補正ダイヤルが新設。
改良を施されたチタン幕シャッターは幕速を強化し、高速側 機械式/低速側 電子式の
ハイブリッドシャッターを実現させるなど細部に渡り格段進化を図られます。
この点は前年ニコンが投入したF3は電子制御シャッターのみ(緊急シャッターの1/60秒とタイムのみ機械制御)という点で「どっちがええのか悩みまくったカメラファン」や「カメラ雑誌上でどちらがより良いのか!?」みたいな論争が巻き起こった程センセーショナルなもの。

さらにこのカメラのすごいところは、より多くのプロの現場で応える為に基本ボディ
はマニュアル機構としながらも、ファインダーをAEファインダーにする事で絞り優先を、そしてモータードライブを装着すればシャッター優先が可能に。

パーツを取り付ける事で機能強化が出来るその装いはあたかもアニメの合体ロボットが如く心を揺さぶるものでした。(ボクだけだったかも知れませんが。。。)

ニコンも基本絞り優先AEながらも、倍率は落ちますが眼鏡使用時でもファインダ像が全体が見える様アイポイントにゆとりを持たせたF3HP(後年はこちらの方が主力的存在に)やF3AFというAF化を実現したのですが・・・電源部がファインダにあるという無理やり感全開(キヤノンはT-80と負けじ劣らずの斜め上っぷりを両社でイッテしまいましたが)とまあ何か夢(?)のある世界。

一方変わらなかった箇所もありまして、有名な所では巻上角度が実は139度のまま。
これは後期F-1時に改良された角度を継承したもの。
フィーリングを大切にするプロカメラマンに応えての事。

ここでも『如何にプロを大事にするか。。』キヤノンの心意気が伺いしれます
ちなみに、1984年開催のロサンゼルス夏季五輪でも公式記録カメラ認定を記念した
限定モデルが発売されました。

最後に。。

初代F-1から始まったプロ用カメラの道。

あの『10年不変の約束』は次のNewF-1でも引き継がれます

その後1996年に実質販売終了となりますが間違いなく『約束』は果されました。

それからさらに20年以上経ち、多くのカメラが登場しましたが、ボクにとっては

今でもNewF-1は憧れの1台に変わりありません。

ただし憧れ過ぎて未だ1度も所有した事はありませんが。。(笑)

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