コラム カメラのナニワ 千里中央店

【コラム】ペンタックス50mm f1.4 (M42マウント)

こんにちは、カメラのナニワ千里中央店です

今日はペンタックス 50mm f1.4 (M42マウント) についてです。

M42マウントとは内径42mm、ピッチ1mmのマウント。
1915年、ドイツ帝国のドレスデンで創業したカメラ・ウェルクシュテーテン・グーテ&トルシュ(と言ってピンっときた方はなかなかのつわもの。二次大戦後、連合国側での分割統治時代、ソビエト側統治下にあったツアイス・イエナなどを母体に誕生した「ペンタコン人民公社」は知っている方も多いのでは。当初は別の公社だったのですが、後にエクサクタなどを出していた「イハゲー」やウェルタなどと共にペンタコンに合併させられました・・・まあ、人民公社ってざっくり言うと「国営企業」、何と言ってもソビエト連邦統治後に生まれたドイツ民主共和国、通称「東ドイツ」といえばバリバリの「共産国」でしたから・・・)で開発されたスクリューマウント、始めに搭載されたカメラ「プラクチカ」から名前を取って「プラクチカマウント」とも呼ばれていました。

このマウントは構造が単純で簡単に製造できたことからASA始めJISやDINなど西側諸国でも規格化され、世界各国非常に多くの種類のレンズが存在しています。

ただ、構造が簡単というのは「ネジ規格」に限っての話。ライカスクリューマウントと同じで工作機械と職人さんさえいればなんとでもなるのですが、問題はその後・・・

「完全自動絞り機構」

の登場。

「一眼レフなんて、シャッター切ってもすぐに絞り開放の状態に戻るんちゃうん?」

いやいや、甘い甘い・・・一眼レフカメラは、このプラクチカマウント登場時はまだ、カメラとレンズの間でシャッターボタンを押し込むと「開放になっていた絞りが設定されていた絞りまで絞り込まれるのと同時にミラーとシャッターが上がり露光⇒任意時間露光後シャッターとミラーが落ち、同時に絞りが開放に戻る(要はシャッター押して撮れたらまたファインダが見えている状態)」という「完全自動絞り機構」が備わっている一眼レフカメラなんてありはしませんでした。
良くてプリセット絞りと連携してシャッター切った後にレンズ側のレバー操作などで絞り込まれた絞りが開放に戻るくらい(クイックリターンミラーは何とか実現していまし・・・)

状況が変わったのはプラクチカFX2、ニコンFやズノーペンタフレックスで「完全自動絞り一眼レフ」が登場した事・・・ズノーペンタフレックスの方は技術的に未熟な所が多く殆ど市販されなかった事、プラクチカは言うまでもなく「東側のカメラ」という所で主流となるアメリカなど西側のマーケットでの販路拡大は難しく、「ニコンF」がシステム面でも、技術面でも完成されたカメラとして一時代を築くのです。

が、M42の逆襲!いや、大きな普及に繋がったのは旭光学工業「アサヒペンタックスシリーズ」の熟成による完全自動絞り搭載、そして何よりも「安価」という所が大きかったと思います。

旭光学でも1957年登場の「アサヒペンタックス」(後にアサヒペンタックスがこのシリーズ名称になるので後に「アサヒペンタックスAP」と呼ばれる様に)からM42マウントを導入するのですが、この頃はまだ完全自動絞りには対応していず苦心に苦心を重ねて1961年、「アサヒペンタックスS2」でとうとう完全自動絞りを搭載する事に成功し、この後露出計内蔵の「アサヒペンタックスSP」で一時代を築く事に成功します。

先ほど触れた「安価」と言った所ですが、このSPのライバル的なカメラがニコマートFTn。当時の「ニコン」と言えば「高級機」を展開するメーカー。ニコマートFTnの50/1.4のセットを揃える金額で、SPは何と「35/3.5,55/1.8,135/3.5」の三本レンズもセットで買えてしまうといえばどれだけ普及したかが分かりやすいかと・・・(ちなみにこの頃、それまでは現金正札売りが中心だったのが「月賦販売(今のカメラクレジット)」が写真材料商組合加盟店で広まったのが更に普及に拍車をかけたとか。

前置きが長くなりましたが、今日ご紹介するこのM42 50mm1.4 は、1964年発売のSuper-Takumar 50mm1.4 (6群8枚:8枚玉タクマー)から始まります。

Super-Takumar 50mm1.4

→酸化トリウム(ThO2)を含有したレンズ Super-Takumar50mm1.4 (6群7枚:7枚玉タクマー)

酸化トリウムを含有したレンズは、俗にアトム(放射能)レンズとも呼ばれています。硝子材に酸化トリウムを含有させることで屈折率が向上し光学特性が飛躍的に上がりレンズの構成枚数を減らしても、同じ明るさのまま性能を保つことができたので、多くのレンズメーカーが添加剤として使用していましたが、年月が経つと、黄褐色に変色するということもあり使用されなくなっていきました。

→Super-Multi-Coated TAKUMAR 50mm f1.4 (6群7枚:7枚玉タクマー)

→SMC TAKUMAR 50mm1.4(6群7枚)
このレンズへの改変は「アサヒペンタックスES」の登場でスクリューマウントの構造上「ほぼ不可能」と言われたTTL開放測光(SP以降の露出計内蔵ボディはTTLながら「絞り込み測光」)、自動露出に対応させる機構の組み込み。
ただ、ここまでがM42マウントの技術的、構造的限界点でもあり1975年以降独自規格 Kマウントへと変わっていきます(レンズ着脱もバヨネット式マウントのほうがし易いということもありますし・・・)。
また、他社でもこのAE化がネックとなり規格はM42ながら独自機構を搭載し(絞り数値伝達機構など)M42でありながら、他社の同規格採用カメラに装着出来ないなどの問題も生じ、急速に新規格マウントへ移行していくメーカーが殆どでした。

ただ、この時にペンタックスの取ったのは「マウントアダプターK」を用いる事で従来のM42マウントとの互換性を持たせた事(フランジバックも同じ)、そして「Kマウント」特許を開放する事で「プラクチカマウント、M42マウント」がメーカーの垣根を越えて互換性を持った「ユニバーサルマウント」となった所を「Kマウント」にも担わせたというのは非常に大きな事で、日本国内に留まらず外国でも「Kマウント採用」の一眼レフがAF化時代が来るまで(海外ではAF化後も)多数製造され、カメラ普及に大きく寄与した事は素晴らしいことだと頭が下がる思いです。(まあ・・・それで日本でのAF化以降「生産終了で廃棄された筈の某社の某カメラの金型や工作機械がスクラップとして流れ流れて某国でKマウントに変わったソックリさんが生産され続けた」なんて事もあったそうですが・・・)

このM42マウントのレンズは製造本数も多く、価格も安くて手に入りやすいレンズになっているので、オールドレンズで遊びたい人の入門レンズと言ってもよいと思います。

 

 

 

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