カメラ今昔物語
こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です
今回は、ニコンのプロ用一眼レフF3シリーズにまつわるお話です
繊細にして華麗な3代目『F』
F3が登場したのは1980年3月。ニコンのフラッグシップ機は「夏のオリンピックイヤー2回でフルモデルチェンジ」と巷に言われるきっかけになった1台(この年開催のモスクワオリンピックは政治的問題でアメリカ始め日本など「西側諸国」不参加と残念な事になってしまいましたが・・・)
それから1年後に発売されるキヤノンNewF-1とは永遠のライバルとして今も語りつがれる歴史的名機の1台です
開発が始まったのは発売から遡る事5年前の1975年頃。
当時の日本は戦後長らく続いた高度成長期が終わりを告げ、時同じくして起きた石油ショックにより『省エネ』のフレーズのもと、大幅な効率化が必要とされていた時代でした
その頃のニコンのフラッグシップ機はこれまた名機の誉れの高い『F2』
完全機械式のこのカメラは、時代の流れにより別付のパーツを取り付ける事により半電子化をなしとげますが、その代償は「大きく、重くなる」そして「後付ゆえの操作性の悪さや見た目のアンバランス感」という課題を持ち合わせていました
そのような背景のもと3代目『F』の開発がスタートし、ニコン技術陣の様々な知恵を集め紆余曲折を経て作りあげられていく事になります
先ずF・F2から受け継がれた機械式シャッターから決別し完全電子式シャッターに移行します
『電池が無ければ動かない?それはダメだろう!』
といった今では考えられないバッシングを受けますが、考えに考えられた回路機構により驚異の撮影枚数を実現し、その声を払拭します
なお、緊急用のシャッターレバーを配置(1/60秒固定とタイム)し、全く電池切れを起こしてもひとまずシャッターは切れるように施されています
次に与えられた機能は絞り優先機能の組み込み。
これまた『写真はマニュアルで撮ってなんぼのもの!』
と言った言われ方を登場時はをされましたが、露出決定が早く出来ることでさらに撮影に集中できるようになり、次第に下火になっていきます。
そして最も大きく変わったのは外見。
ニコンはデザインにかなり力を入れており、カタログなどだけでなく伝説の名機「F」など亀倉 雄策氏(戦前から日本デザイン界の第一線で活躍され、前の東京オリンピックの「TOKYO1964」の「2020年もこれで良くない??」って言われる程素晴らしいデザインを手がけたデザイナーといえばご存じの方も多いのでは)など外部のデザイナーに入ってもらう事は多かったのですが、このF3はイタリアの工業デザイナーの巨匠ジョルジェット・ジウジアーロ氏が手掛ける事に。
そのフォルムは、今までのニコンのカメラとは一線を画しまさに繊細にして華麗。直線と曲線を上手く融合され30年近く経った現在においても全く古めかしさを感じさせません。
ちなみにグリップ部にある縦の赤ラインは氏のアイデアによるものだとか。
キヤノンもその「デザイン性」の重要さを痛感し、後のT-90から同じくドイツの工業デザイナー、ルイジ・コラーニ氏にデザインを依頼するのですが、それが「EOS-1」シリーズに象徴される「曲線美」。
好みは分かれますがどちらも今でも古さを感じさせない、素晴らしいデザイン。
この感覚はホントおしゃれ。。
以降機種のグリップ部の赤パーツはこの想いを引き継いだものと言われています。
NASAからの信頼
様々な環境に耐えるカメラとして誕生したF3は各方面からの期待に応えます。
このカメラを一躍有名にしたのが、アメリカのNASAスペースシャトル計画に採用された事です。
それまでも、ニコンのカメラはFの頃から既に採用されていましたが、メインとして採用されていたのは「ハッセルブラッド」。
役割はどちらかと言うとあくまでもサブ的な扱い。
アポロ計画の場合「月の採取物」を持ち帰る為に「1gでも重量を減らす為」、帰還時はカメラは置いて帰って「フイルムマガジン」だけ持って帰るという事が出来たという点が大きかった様です(今でも月面には12台のハッセルが残っているとか)。
また、NASA初期の有人宇宙計画のマーキュリー計画では無改造のハッセルで(初の機材は何と乗員がこっそり持ち込んだ私物の500C/M!?)想像以上の働き、特に解像度の面で発揮してNASAも写真での記録の重要さを認識し、そしてその事に大きな感動を得たハッセルが応え続けていたというのもあります。
ちょっと脱線しましたが、ニコンの話に戻しますと、その初ミッションSTS-1で『コロンビア』号に搭載されたカメラがF3の特別使用機でした。
多くの機械を持ち込み事が制限される船内においてトラブルが厳禁。故障は絶対に許されません。
幾多の過酷な試験にパスしたF3はコロンビア号と共に宇宙に飛び立ち、見事役目を果たします。
この功績は絶大で以降世界で『Nikon No1!』と改めて呼ばれるきっかけになりました。
そして、その後現在に於いてもNASAの公式記録カメラとしてニコンDシリーズが宇宙空間で活躍しております。
類まれにみるバリエーション
いろいろな想いを載せて登場した『F3』は数多くの仕様がある事でも有名です
①F3(アイレベルファインダーDE-2付)
②F3HP (ハイアイポイントファインダーDE-3付)
視野率100% 倍率0.75倍 1982年発売
眼鏡をかけた状態でもファインダーの隅まで見られるようにアイポントがDE-2より
25mm長い。その分倍率が下がりファインダーはDE-2よりも小さく見える
それでも、使用性の良さからか生産台数は1番多いとされている
③F3/T(チタン 専用ハイアイポイントファインダーDE-4付)
1982年 チタン色発売・1984年 ブラック塗装追加
HPをベースに外装にチタン素材を用い堅牢化を図ったモデル。
シーリングにより防塵・防滴を実現したモデル。
④F3AF (専用ファインダーDX-1付)
1983年発売
ニコン初のオートフォーカス一眼レフはまさにこのカメラ。
AF方式はTTL位相差検出
専用レンズ2本(80/2.8および200/3.5)はレンズ内モーター駆動式。
(制御はファインダーが担当。電源も何とファインダーに!)
これらの機構は今でも綴る部分が多く、時代を考えるとまさに画期的な1台
88年F4の発売で販売終了
⑤F3P(プロフェッショナル 専用ファインダーDE-5付)
1983年発売 ※報道機関、プロ会員向けのみ
F3/Tをベースにファインダーにホットシューを設ける一方で、レリーズ穴や多重
露光、セルフタイマーなどを省いたプロ仕様モデル。
DE-5単体での発売はされていない
なお1993年には一般向けに『F3リミテッド』として限定発売される。
この「一般向け」販売という形態、F2チタンの時と同じく、その存在をどこからか聞いたファンやヘビーユーザーからの「F3Pほしいぃぃー!」の声を受けて発売となったとか。そんなニコンが素敵(*´Д`)
⑥F3H
1996年発売 ※報道機関のみ
アトランタ五輪での使用を目的として開発されたと言われる特別仕様モデル。
固定式のハーフミラーを採用し、秒間13コマ連写を実現。
台数は500台未満との事で幻のカメラ
最後に。。
多く世界的な逸話があるニコンF3。
80年台後半から訪れるAF化の波に飲まれる事もなく逆に『MFのフラッグシップ機という存在』でロングセールスを続けます。
1988年にはAF機として登場する後継機『F4』が発売され、そして更に96年にF4の後継機『F5』が現れても『MFフラッグシップ機』という存在から生産を継続され、2000年にようやくその役目を終えて生産完了となります。
生産台数は延べ約80万台。
記録にも記憶にも残るカメラである事は間違いありません