カメラ今昔物語
こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です
今回は番外編。富士フイルムのデジタルカメラにまつわるお話です
常に先進的に
現在多彩なラインナップで初心者からプロまで広く支持をされている富士フイルム。
その富士フイルムがデジタルカメラ開発に参入したのがちょうど30年前の1988年。
しかし当時はフイルムカメラが全盛期、創生期のデジタル画像分野はごく一部の特殊分野を除いて一般向けなぞほど遠い時代。
その中でも世界に先駆けてメモリーカードに記録する試みや、ニコンとの共同開発に
よる一眼レフを作り出したり、とまさに前へ前への取り組みが10年余り繰り返されました。
そうしてその後の富士フイルムのブームを作り出す画期的な方法が採用されます。
それは誕生して間もない記録カード『スマートメディア』を採用した
クリップイットシリーズを96年7月に発売。
その頃は旋風を巻き起こしたカシオの『QV‐10』をはじめ内蔵メモリーに記録するモデルが殆どの中でのチャレンジ。今から思うと本当に先進的です
さらに2年後の98年に『FinePix』ブランドの初号機『FinePix700』が登場します
それまでのカメラ業界で言われていた『縦型デザイン』は売れないジンクスを破り空前の大ヒット!
縦型デザインは継承され2000年に発売された『FinePix4700Z』で全盛を迎えます
(このあたりの話はまた別の機会に。。)
ニーズの先読みをして様々な取り組みを商品化していく姿勢はその後いろいろな方向性を打ち出すことになります。
先のFinePix700みたいな「名機」から「迷機」まで・・・
デジカメ+チェキ!?
さて、他社に先駆けていろいろな事に取り組む中で奇抜なカメラが登場します。
それが1999年11月に発売された『FinePix PR21 プリンカム』です。
当時スゴい勢いでデジタルカメラ分野のシェアを取りつつあったFinePixと、
これまた発売直後から品切れ続出となっていた『チェキ』を合体させたら
面白いんじゃね?って誰かが言ったかどうかは定かではありませんが、
そんな感じのノリで?(笑) プリンカムは発売されました。
斬新にしてお得意の先進性を求めたその内容はなかなかの出来栄え。
デジカメで記録して、エフェクト機能でコラージュして、その場でプリント!
まさに現在でも通じるポテンシャル。
とここまでの発想は本当に良かった。。
しかし、ガタイは大きくなりデザイン的にはスタイリッシュとは言い難く、さらに
その独創的な機能の代償は価格に跳ね返り、メーカー希望価格は99,800円!!
それは主力であったモデルの倍以上となってしまい、「デジカメとチェキを分けて買った方が安いやん!」と揶揄される始末。。
こうして新たな市場を作り出す為に鳴り物入りで登場したプリンカムは後継モデルも発売される事なくひっそりと販売終了となっていきました。
ただこのプリンカム、約18年後・・・
instax SQUARE SQ10として、ほぼ同じコンセプトのカメラが登場するなんてその時一体誰が思ったでしょう。
デジカメ+音楽プレーヤー!?
プリンカムは成功にほど遠い結果になった訳ですが、新しいモノを世に送り出すという使命感は一向に衰える事がなかった当時の富士フイルム。
今度はデジカメにその頃ようやく出回り始めた音楽プレーヤーを合体させる試みをします。
それが2000年7月に発売された『FinePix40i』でした。
ボディは小型・軽量・薄型で持ち運びはバッチリOK!
パソコンで専用の転送ソフトを用い、本体内のスマートメディアに記録する事で
デジタル音楽プレーヤーになるという優れもの。
この頃にラインナップされた64MBのスマートメディアで約60分の録音が可能でした
音質も非常によく、音飛びもしにくい事など、業界関係者からは大絶賛を受けます。
しかし、これまた当時主力のモデルがズーム付であった反面、携帯性重視による
コンパクトサイズであった為レンズは単焦点、さらにやはり価格が幾分か割高な事もあり、ヒットするまでには至りませんでした。
ちなみにオーディオ機能を外した兄弟機『FinePix4500』が併売され、そこそこの台数を売り上げる事になります。
たぶん、『お利口だけど割高な兄貴(40i)』よりも『堅実でお得な弟(4500)』がニーズにマッチしたのかもしれません。。
最後に。。
デジタルカメラが世の中に広く知られ大きく市場を伸ばす事になる2000年前後のお話を致しました。
その頃は、カメラメーカー、電機メーカーなど延べ20数社がデジタルカメラ分野に参入し覇権を競いあっていました。
その中で、時代を先読みし、自社の強みを活かし、他社とは違うアプローチをいくつも仕掛けた富士フイルム。
的が外れ、上手く売れなかった機種もありましたが、それは顧客の事を真剣に考えた証でもあります。
その思想は現在にも受け継がれ、多くのファンを作りだす原動力になっているのかも知れません。