【コラム】カメラ今昔物語 【ミノルタ X-700 編】

カメラ今昔物語

こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です

今回は、現在でも多くのファンがいるミノルタ『X-700』のお話です

熟成を重ねて

前回のキヤノンA-1でもお話ししましたように,1970年代半ばから日本のカメラメーカー各社はこぞって一眼レフの自動露出化・多機能化を目指し凌ぎを削ります

大阪に本社を構えていた老舗メーカー『ミノルタ』(現コニカミノルタ※)
もその中の一員でした  ※現在カメラ事業からは撤退

ミノルタの会社としての歴史は古く、創業は1934年(昭和4年)。

その老舗が一眼レフ分野に乗り出したのも非常に早く、1958年10月に『SR-2』を発売。
以降もいくつかのアイディアや改良を重ねながら名機を誕生させ業界内でも不動の地位を築きあげていきます.。



この比較的早期の一眼レフ誕生には、当時「ライカM3」に対抗しうるカメラとしてレンジファインダーのミノルタ35シリーズの究極「ミノルタ スカイ」を手にアメリカ市場へ向かった創業者の田島一雄氏が「時代の潮流は一眼レフに変わってきている」と肌で感じ、帰国後発売直前まで開発が進んでいたミノルタ スカイの開発を即刻止め、その設計を流用してSRシリーズを生み出した柔軟さと時流を瞬時に読みぬく敏感さがありました。

なおブランド名のミノルタ【MINOLTA】の由来は諸説あります。

 Machinery and INstruments OpticaL by TAshima(田嶋光学機器)の頭文字取って名付けたとか(これは創業後一時名乗っていたモルタ合資会社の「モルタ」が先の英語のドイツ語読みの略称だったとか)、創業者の母親の口癖「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」から来ているとか、両方を掛け合わせた語呂合わせとか・・・本当のところは定かではないそうです。

そして時は流れて70年代に入り、上述しましたように一気に電子化の流れがきます

その当時のミノルタは、初期シリーズのSRから電子化を施したXシリーズへと移行。開発の陣頭に立ったのはオリンパスの米谷美久氏と並び称される、後にαで業界に

「αショック」を巻き起こした名設計者、吉山一郎氏。

1974年に発売されたXEを皮切りに、ここでも様々なチャレンジを行います

特に1977年10月に発売されたXDは世界初の両優先AEの搭載を実現。

世の中の話題をさらいます。

実はこの時に採用されたフォーカシングスクリーンが現在でも誉れ高い

『アキュートマット』

明るくより鮮明でありながら、ピント合わせがやりやすいこのスクリーンは以後ミノルタの1つの代名詞となります。

ここまでで培われた技術がライツ社との業務提携やハッセルブラッド社へのアキュートマットスクリーン供給など、名だたるカメラメーカーと肩を並べるどころか

「ミノルタにしか出来ない唯一無二のもの」を生み出していきます。


多機能でありながらシンプル操作へ

さて、そんな70年代において業界内でブームを起こしたカメラがAE-1を祖とする

キヤノンのAシリーズでした。

従来の概念を打ち破るモデルを矢継ぎ早に発売し断然トップの地位を固めていく

キヤノンに対し、ミノルタが出した答えは『多機能かつシンプル操作』という

コンセプトでした

ライバルキヤノンA-1の牙城を崩すべく1981年10月に投入されたカメラこそが

『X-700』

絞り優先AEとマニュアルにミノルタ初となるプログラムAEを採用。

モータードライブは勿論、さらにフラッシュはダイレクト測光によるプログラム

自動調光や自動撮影が可能なマルチファンクションバッグを用意。

これらをMPS(ミノルタプログラムシステム)と総称して真向勝負を挑みました

一方で、操作系に関しては非常に分かりやすい仕組みとし、初心者でも無理なく使

えるような出来栄えとなっています。

(ファインダーの見易さと巻上げも感触は絶品!

 どのカメラよりも優れていると個人的には思ってます。。)

これらの事が今でも人気の要因である事は間違いないでしょう。

ところでAE撮影にはかかせないAEロック機能が初期の頃にはなかったのは語り草。。

付け忘れたのか!?と揶揄されたからではないでしょうが、すかさず改良機を発売。

これ以降を俗にNew X-700と呼び大別されています

(ちなみに初期X-700にはシルバーボディがありましたがほとんど見かけないレアな品物)

さらに後年には

X-70(プログラムAEを省く)

X-500(X-70の改良機)

X-600(X-500にフォーカスエイド機能を盛り込む)等の兄弟モデルも誕生。

シリーズバリエーションを拡げていきました

(それぞれが似すぎて違いが良くわからない、まさに金太郎飴状態な感じでもありま

したが)


最後に。。

非常に優れた思想のもと誕生したX-700は、その発売された年から始まった
ヨーロピアン・カメラ・オブ・イヤの初代グランプリカメラとして後世に語り継がれる事になります

その後ミノルタはαシステムへと大きく軸足を動かしますが、X-700の生産は2000年まで粛々と続けられます。

実に誕生から19年!

記憶にも記録に残る機種となったのでした。