カメラ今昔物語
こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です
今回は、ミノルタのプロ用一眼レフ『X-1』にまつわるお話です
他社に負けない高級機を!の声
高度成長期に合わせて目覚ましく発展を遂げた日本製の一眼レフ。
1960年以降現在まで世界において日本製カメラは他国企業の追随を許す事なく不動
の地位を築き挙げました
国内企業間においては、各社ごとに様々な思想やアイディアを駆使し開発を行い数
多くの機種を世に送り出しました
60年代当時、普及機SRシリーズで一定の成功を収めていた『ミノルタ』は自動露出
に関する研究が盛んに行われ、この技術を世に出す為に新シリーズの発売を目指し
ていました。
また、その普及機で沢山のファンを獲得をしてはいましたがプロ機をラインナップ
する事は長年の悲願であったと伝わっています
これらの事が相まって1973年にXシリーズが登場。
その栄えある初号機として発売されたのが、プロ機 『ミノルタX-1』でした。
ちなみに『X』の意味はExcellent(優秀)からきたとされております。
(普通に考えると『EX』だと思わなくはないですが。。。)
つまりXの最初または最高(1番)との事でのネーミングだったのではないでしょ
うか。
積極的な電子化プロ機
様々な経緯の中で誕生したX-1とは果してどのようなカメラだったのでしょうか。
まず他社プロ機との差別化を図る為、電子制御式(電池駆動)を採用した事でしょう
これにより自動露出が可能となり、絞り優先機能を搭載する事が出来ました。
次にファインダーは他社に見劣りしないように着脱式とし、AE撮影の為のAE-S
をはじめ5種類用意。
さらに横走りのシャッター幕はチタンを採用し、幕速を極限まで突き詰めてX接点
は驚異の1/100を達成。
これは他社には無い機能!と普通なるのですが、当時は写真はマニュアルで撮って
ナンボのプロの世界。
それに忖度した訳ではないと思うのですが、いくつかの?が存在します
まず鳴物入りで採用したはずのAEを使う為には些か面倒な操作が必要でした。
① AE-Sファインダーが必須(その為の物ですから。。)
② シャッターダイヤルをAUTOにする。(ここまでは分かり易い)
③ その上でボディ全面の切替スイッチを押すとAEになる。
この非常に煩わしさが後々X-1の評価を落としたとも言われています
さらに、忖度はファインダーにも及びます。
前出のAE-Sの他に、M(追針式)、P(プリズム式)がラインナップされたので
すが、元々が電子制御式のカメラな訳で、追針式はまだしもはたしてプリズム式が
必要だったのかどうか。。
極めつけは、プロ機でありながらもモータードライブを用意しなかった事。
これは報道・スポーツの現場では致命症的な事態。
この課題については3年後に『X-1モーター』を登場させる訳ですが、ドライブ
一体式としたボディはとんでもなくデカくて重く、おまけに値段が高い!
しかも最高3.5コマ/秒ときては肝心のプロからは全く相手にされないといった始末。
少量生産の後に製造ストップの憂き目にあいます。
などなど、名に恥じぬ非常に優秀な機能を持ち合わせながら後世X-1がメジャー
にならなかった要因がこれらの事にあったと思われます。。
最後に。。
プロ機分野にも積極的に電子化に取り組み具現化したX-1
現在では当たり前になったいろいろな事を40年以上も前に実現させながら、当時の
写真業界のスタイルに翻弄された事はあまりにも惜しいの一言に尽きます
他社が脈々とプロモデルを受け継いでいったのとは裏腹に、発売からわずかの期間で
姿を消す事になります
ミノルタ『最初にして最後のMFプロ機』 X-1はこうして幕を閉じました。