【撮影地情報】尼崎城下町・寺町界隈

尼崎は兵庫県南東部に位置し、工業都市のイメージが強いですが、江戸時代は尼崎藩があり大阪城の西の守りとして栄えていました。

現在もその城下町があった阪神尼崎駅から南へ約100mの「寺町」では、城下町の雰囲気をいまに伝える寺院や石畳など歴史を感じることができます。尼崎城が築かれる際に散在していた寺院を城の西側に集められてつくられた寺町。11のお寺が軒を連ね、国指定の重要文化財、7件をはじめ、県、市指定の文化財も多く残されています。町場から分離して寺院の力を弱めるとともに、巨大な建物群である寺院を配置して城に対する防備の役割をもたす目的があったとも考えられています。

駅を降りると案内の看板がありました。

有名なのは赤色の「三重の塔」の本興寺。広い境内に重要文化財の建物が並び、寺町の中でもひときわ存在感のある重厚な雰囲気のお寺です。本興寺は室町・桃山時代のすぐれた建造物として国の重要文化財に指定されています。

この通りは赤レンガで囲まれています。











メインストリートには「長遠寺」があり、

多宝塔は桃山時代の特徴がよく表れた建物は指定重要文化財になります。

太閣秀吉ゆかりの寺「広徳寺」。

阪神電車尼崎駅の近くに建つ真新しい天守。その姿は駅のホームや車窓からも確認できます。駅からは徒歩5分、外堀となっていた庄下(しょうげ)川を渡った尼崎城址公園に天守が再建されました。

1618(元和4)年に築城され、1873(明治6)年の廃城令で解体された尼崎城ですが、寄付によってその天守閣が2018年に再建されることになりました。在の天守は平成31年(2019)3月に再建されたものです。

尼崎城は400年前の元和3年(1617)に譜代大名戸田氏鉄の尼崎への所替えに伴い築城されました。天守は本来戦争時の見張り台や籠城時の指令所として発展しましたが、軍事的な性格が薄れた江戸時代においては、もともと天守を持たない城や天守喪失後に再建されない城が多くありました。尼崎城の天守も非実用的なものでしたが、外観を意識した装飾的で美しい天守の姿は、権力の象徴であると同時に、江戸時代の泰平の世を象徴するものでした。しかし、明治6年(1873)の廃城令により取り壊されてしまいました。

尼崎城の展望台から眺めると、阪神電鉄尼崎車庫横にある赤レンガでできた旧尼崎発電所跡が見えます。明治37年(1904年)竣工で100年以上の歴史を持っています。

また、尼崎城のすぐ横には尼崎市図書館があり、尼崎城や街の歴史、観光スポットなどを調べるのにとても便利です。

■尼崎城天守
所在地〒660-0862
尼崎市北城内27
開城時間:午前9時から午後5時まで
(最終入城は午後4時30分)
休城日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月2日)
交通:阪神電車尼崎駅 南へ徒歩5分