【コラム】カメラ今昔物語 【キヤノンT90 編】

カメラ今昔物語

こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です

今回は、キヤノンの国内最終MF一眼レフ『T90』にまつわるお話です


苦悩の中で

フイルム一眼レフにおいてキヤノンの名を不動の位置へと押し上げたのは1976年

に発売された大ヒット商品『AE-1』を祖とするAシリーズでありました

それまでのデカイ!・重い!・扱いにくい!そして高い!を打破すべく社内の精鋭が

集められ、開発・発売までわずか2年で後世記憶に残るカメラを作りあげました。

その後のAシリーズは上位機『A-1』、後継機『AE-1プログラム』とヒットが続き、

特にティーンネイジャーを中心とした若者達から絶大な支持を受けていきます
(ちなみに私もそのひとり。。(笑))

先進的なデザイン、画期的な操作性、幅広いレンズやシステム郡等々、

写真をはじめるきっかけになった方も多くいました。

しかし順調と思われていたAシリーズですが、実情は複雑な模様でありました

それは海外市場からの要望ってやつ。。
(特に北米あたり。昔も今もここいらとの付き合いは難しいようで)

カンタン・コスパ高いが売りであったAE-1に対して、

『ヤッパ、マニュアルガヒツヨウジャネェ?』とは言ってはないと思いますが、

海外向けにあろう事かマニュアル専用機『AT-1』(1976年)を発売します。
(Aシリーズなんで電池が無ければ動きませんし、元々のシリーズコンセプトから

一脱してしまって。。)

さらに、『ツイデニ、シボリユウセンモイルンジャネェ?』等の声にも律儀に応え、

同じく海外用として絞り優先機『AV-1』(後に国内でも販売)を1979年に発売しま

す。(シャッター優先にこだわりながらも何故に絞り優先??的な。。)

また、各社で自動フォーカスに向けての試みがされる中で、AV-1からの派生モデル

としてAL-1が誕生します。
(後に登場するAF機ではなくピント合掌サインを表示するフォーカスエイドって奴)

このように華々しいヒット作の一方で市場要望にも応えないといけないなど当時の

キヤノンの苦悩が見えてとれます


時代の転換期を迎え

さてそのような苦悩の時があり、さらに第2次オイルショックなどの不況も手伝い、

よりカンタンでさらに安価なコンパクトカメラが持てはやされるようになります。

このままではイカン!という気運の中で新シリーズの開発が決まります。

『徹底したプログラム化』『ワインダー内臓』『ズームレンズを標準装備に』を

コンセプトに掲げて『Tシリーズ』の幕が開きます

まず放たれたのが初号機『T50』
(1983年発売。通称オートーマンはオートボーイの上位との事で。。)

プログラム専用に徹底して『超カンタン!お手軽に!』は良かったのですがあまり

にもの割り切り方にあえなく不発。。

めげずに翌84年に『T70』が登場。大型ディスプレーを見ながら全てボタン操作。

巻き戻しも電動になり一見すると現在の一眼レフの基になったような風貌。

3パターンのプログラムAEを組み込んだ意欲作。

しかしいくつかの賞も受賞しましたが、大ヒットまでは至らず。。

普通なら心が折れ掛けてもおかしくないその翌85年。

さらに激震がキヤノンを襲います。

世に言う『αショック』と呼ばれる完全AF機ミノルタα7000の出現。

急遽AF専用機『T80』で迎撃に向かうもあえなく返り討ちにあう始末。。
(この辺は2018年8月のコラムにて。。)
https://www.cameranonaniwa.co.jp/blogs/2220540326/

ここまで3機種を費やしながら思うような実績が上がらず、またライバル社はAF機

への転換を始める状況。

しかし、キヤノンはTシリーズの『完成』を目指します。

そうして1986年にひとつの答えを世に出します。

それが全ての要素を結実させた最高峰機種『T90』(通称タンク)でした


正に真打の登場!

まずT90を語るうえで外せないのがそのフォルム。

従来のカメラとはまるで違うその流線型にはその時の誰もがド肝を抜かれます。

これはドイツの工業デザイナーであったルイジ・コラーニ氏の協力の元で仕上がった

事は超有名な話

この曲線美を壊さないように配置を考えられた液晶パネルや操作ボタンは秀明。

機能面はキヤノン初の1/4000秒シャッターにT70をベースに7プログラムAEを

搭載。もちろん両優先AEにマニュアルは漏れなく。

さらには3種の測光方式(中央部重点・中央部分・スポット(マルチ対応化))、

悲願のTTLダイレクト調光対応、などといったようにまさにこれでもか!のテンコ

盛り状態!

それでいながら駆動させる電源は単3乾電池4本で実現させる徹底した省エネ設計。

これだけの性能ですので価格は最高級機種NewF-1に迫る148,000円!

それでも写真学生やハイアマチュア、ひいてはプロカメラの支持を受けヒット商品と

なります
(私の何人もの友達が初めてのカメラとして購入してました~)


最後に。。

AFの波をまともに被りながら技術の粋を集めて作りあげた渾身の機種『T90』

それこそ『AF以外は何でも備わってる最高級のカメラ』の名を国内外

から欲しいままにします

(実はシンクロターミナルがなく、増設で取付する事になったんですけどね。。)

価格面やα7000の出現により大ヒットまではいかなかった不運もありましたが、

その後のキヤノン一眼レフの道しるべになった事は間違いありません。

このカメラの完成を成しえた事で1987年からEOSシリーズによる大逆襲が始まる訳

ですから。。