【コラム】カメラ今昔物語 【番外編 ミノルタα7000】

カメラ今昔物語

こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です

今回は番外編。

日本のカメラ史において最大級のインパクトを与えたミノルタα7000にまつる

お話しです


切磋琢磨を続ける中で

日本のカメラ製造の歴史は、昭和の初頭から徐々に花を開きキヤノンやニコン

など現在のトップブランドメーカーが産声を上げたのもちょうどその頃の事で

した。

その中の1つに大阪に本拠を構える『ミノルタ』がありました。

※このあたりのお話しは2019年2月のコラムにて。。

そして、戦中から戦後へと時代が流れていく中で、さらにその流れは大きく

なり、一時はアルファベット『AからZ』までの頭文字があるぐらいメーカーが

乱立するような時もあったそうです。

しかし当時の品質はドイツやアメリカなどの先進国のレベルとは程遠く、まだ

まだ改善・改良の余地を大幅に残しておりました。

そこで、日本の生産者達が目につけたのが一眼レフ。

そこから各メーカーの切磋琢磨と血の滲むような努力により、様々な新機構

が導入され1970年代になる頃には日本製カメラは世界一の階段を駆け上がって

いきます。

そして80年代に入ると各メーカーは新たな挑戦を始めます

それはピントを自動で合わせる『オートフォーカス』への取り組みでした。

理論上実現に向けては不可能ではなかったものの、そこにはいくつのの高い

ハードルが待ち構えていました。

コストは勿論、駆動方式、電源供給、関連システムなどなどそれはどれをとっ

ても頭の痛い課題でした


史上最大級の衝撃

いろいろな悩ましい課題の中で、手始めに出されたアイディアが、ピントは

手動ながらも焦点合掌の為のセンサーを本体に仕込んだ『フォーカスエイド』

機でした。

そこから
『じゃあ手動のかわりにモーターでフォーカスを動かしたら良いんじゃね?』

とどこかの誰かが気付き、レンズ内モーター式のレンズが登場。

これらを組み合わせてどうにかこうにかAFを実現させた訳ですが、ピントは

激遅いうえスタイリッシュとは良い難いそのフォルムに市場の反応は冷ややか

でした。

それよりも究極的に露出を合わせる為にこのころ各社がこぞって力を入れたの

が測光方式でAFについては『そのうちいつかは出来たら良いよね~』的に風潮

となっていました

そんな各社の思惑の中,密かにそれでいて確実に階段を上っているメーカーが

ありました。

それが『ミノルタ』でした。

戦前から続くメーカーではありましたが、シェアー下位に甘んじていた同社は、

80年代に入ると極秘プロジェクトをスタートさせます。

それまでの成功体験は一切排除し、他社が束になっても実現しかねていた完全

AFシステムの確立を目指し、それこそ社運を賭け開発に着手します。

出された結論はレンズマウントの変更。

カメラメーカーにとって命とも言うべきマウントの変更は禁じ手中の禁じ手。

失敗すればシェアーを失うばかりではなく、場合によっては会社ごと吹っ飛ぶ

大きな賭け。

しかし幸か不幸かもともと下位であった事、

当時のSRマウントは最古参で発展性が厳しかった事

が要因となり、言わば失うものは何もないと半分ヤケクソではないにしても

ミノルタはそこに勝負に出ます

そしてプロジェクト開始から5年目となる1985年2月。

世界中に大きな衝撃が走ります。完全制御のAF一眼レフ 『α7000』をついに

完成させ発売に踏み切ります

制御機構と駆動モーターを極限まで小型化しこれらを全てボディにパッケージ。

レンズは新設計をなるAマウント。

ボディからの指示伝達を連動させる為にROM基盤を内蔵。

それまでのレンズ駆動式タイプとは違い非常にスリムなデザイン。

さらに各キーボタンを液晶パネルに表示させて操作する近代的な操作性。

もうそれはなにからなにまで今までの常識を覆すシロモノの出現に世界は超絶

します。

このとんでもないカメラは空前の大・大・大ヒット商品となり、発売数か月は

全くの品薄状態が続き、僅かな店舗用のサンプル機ですら売れてしまうといった

逸話まで残っています

これが世に言う『αショック』と呼ばれるミノルタの一世一代の大勝負の結果

でした。

まさに下剋上とはこの事。

シェアーは一気に駆け上がり、一時期では『ミノルタでなければカメラじゃない』
(平氏でなかれば。。的な(笑))

とまで揶揄されるような同社にとって黄金期がその後約10年ほど続きます

ちなみにブランド名『α』の由来はギリシャ文字の一番目から来ていると伝わって

います


最後に

完全制御のAF一眼システム『α』がすごかったのはなにもその独創的な機能面

ばかりではありません

発売当初からレンズ群を豊富にラインナップした事をはじめ、フラッシュのプロ

グラム制御化やAF補助光の搭載インターバルタイマーを実現させたコントロール

バックなど周辺機器も用意周到に準備した事でしょう。

さらにその数年後に発売された後継機7700iにおいてはインテリジェントカードと

呼ばれたICカードにより機能増強を図るなどセンセーショナルで画期的なアイディア

を次々に披露。

まさに日本が一番絶頂であった時代。

それと共に一躍注目を浴びるメーカーになっていったのでした