ナニワグループBLOGS編集部:2019年11月29日に公開された記事を再編集しています。
カメラ今昔物語
こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です。
今回はAF一眼創世記、逆境の中から再びトップメーカーの座を奪い返す足がかりとなったキヤノンEOS650にまつるお話しです。
惨敗からのスタート
カメラ史上においてターニングポイントになる年がいくつかありました。ことさら1985年は革命的といってもいい年として刻まれています。そう本格的なオートフォーカス一眼レフ(以降AF一眼)が幕を開けた事でした。当時業界で販売的に下位に甘んじていたミノルタが世に放った『α7000』が登場。
その先進性と機能面、レンズ郡や周辺機材に至るシステム系統はそれまでの何と
も違う様相で世の中は大きな衝撃を受けます(世に言う『αショック』ってやつですね。。)
このカメラは売れに売れ80年代いやいや史上最大のヒット商品となります。
※このあたりの事は2019年9月のブログにて。。
→ https://www.cameranonaniwa.co.jp/blogs/2220557060/
もっとも震撼したのはトップメーカーのキヤノン。その対抗一番手として立ち上がります。ミノルタに傾いた流れを止める為、メイン商材であったTシリーズにレンズ内AF方式を採用した『T80』をすかさず販売し迎撃に向かいます。
※こちらは2018年8月のブログにて。。
→ https://www.cameranonaniwa.co.jp/blogs/2220540326/
結果はしかし。。予想以上の大惨敗。。
それはなつかしのアニメ 『宇宙戦艦ヤマト』で当初描かれたガミラス軍に全く
歯が立たなかった地球防衛軍のようなありさま(笑)
第1ラウンドでよもやのカウンターを受け、ものの見事にKOされたキヤノン。
その状況を見ていた各社は以降ミノルタ方式(ボディ内AF駆動)を採用、対抗機を発売するといった流れとなっていきます。突然といっても良いぐらい起きたAF一眼はブームとなり、様々なユニークな機種が発売されます。ニコンとペンタックスは従来カメラマウントでAF化を施し、オリンパスや京セラは別マウントを用意し販売します。
が、如何せんαほどのインパクトを与える事は出来ず、『天下』はガミラ。。
いや失礼(汗。。) ミノルタの物となります。
起死回生の一撃!キヤノンの逆襲
初戦で見事に返り討ちにあったキヤノンですが全く手をこまねいていた訳ではありません。αと時を同じく、キヤノン社内においてもAF一眼の極秘プロジェクトが進行していました。
コードネームは『EOS』(Entirely Organic System)
直訳すると完全有機体系?って事ですがさっぱり意味がわかりません(苦笑)
でもってこれは後に、Electronic Optical System(電子視覚体系)に改められ
るとようやく意味がわかるようになります。。
またギリシャ神話に登場する【曙(世明け)の女神 イオス】から由来しているとの通説が一般的ですね。
(αもギリシャ数字の1番目。。EOSもギリシャ。。ギリシャ恐るべし(笑) )
少し話がずれましたが。。
このプロジェクトで考えられた事は、過去にとらわれる事なく新技術を投入し、将来的な発展も見込め、メーカー・ユーザーが共に有益となるシステムの開発。これらのコンセプトの基、新型AF機の開発を急ぎます。
そしてα登場から実に2年を経て、1987年3月にそのカメラは誕生します。
キヤノン創立50周年を記念するその日に発売されたのが『EOS650』でした。
その内容と性能にまたまた世界はビックリします。
①新型測距センサー(Basis)による高速測距の実現
②主流であったボディ内AF駆動ではなくレンズ内駆動方式。
それを実現する為に新マウント方式を採用。
③ボディとレンズの連動は接点のみで行う完全電子方式
④新型レンズモーターの実装(超音波モーターや円弧形モーター)
上記は代表的なもので、これらを含めて特許出願は300件以上!だったと言われています。フォルムはまさに従来の機種とは一線を画す近未来型デザイン。シンプルに使えるように最小限に設置された操作系。
電源は当時としては目新しいリチウムマンガン電池を採用。
スムーズに動くAFに狙い通りにとまる測距システム。ライバル各社がαの軍門に下る中、どことも違うその仕組みは大絶賛されます。
TV-CMも大々的に流され、女性写真家のビクトリア・ブリナー氏を起用。
(超なつかしいですね。。)
センスの良い構成にこちらも大好評を得ます。
2年間苦い思いを経て、こうして再度トップメーカーへと辿りつくのでした。ただし、その地位は依然ほどの盤石なものではなく、以降数年に渡りEOS VS αの仁義なき戦いが繰り広げられる始まりでもありました。
最後に
EOS650で蘇ったキヤノンは、その後も手を抜きません。
2か月後の87年5月には上位機EOS620を発売。さらに2年後には620の後継機で動体予測機能を搭載したEOS630と23年ぶりに画像消失しないペリクルミラーを配したEOS RTを次々と発売。(4機種ともデザインは全く同じ。キヤノン得意の金太郎飴作戦?(笑))
デザインは一緒でもそれぞれで新技術を盛り込み、実地しながら実証実験もやっ
てのけるキヤノンならではの展開を披露します。ここで培われた数々の成功体験を基に90年代に入る頃にさらに飛躍を遂げる事になります。
この続きはまたいずれ。。
【コラム】カメラ今昔物語 【キヤノン EOS 10QD 編】