カメラ今昔物語
こんにちは心斎橋買取センターの たつみ です
今回は、今なお絶大な人気を誇るミノルタ TC-1にまつわるお話しです
『究極のカメラ』を目指して
1990年を前後して史上空前の高度成長に酔いしれていた日本。後にバブル景気と
呼ばれるこの時期にカメラ業界は大いに技術革新が進み、それこそ革命的と呼ば
れる機能が各社から次々と開発され世に送り出されました。
中でも最大級のインパクトだったのがご存じ一眼レフのAF化の実現でありました
それまでの一眼レフと言えば機能面こそAE化が進んでいたものの、やはり小難し
くて煩わしいしかも思いの外荷物になる言わばマニアの為の道具であったのが、
このAF化を境に一気に大衆化し女性でも至極簡単にそれでいて超キレイな写真が
撮れるようになりました
その扉を真っ先に開いたのが老舗メーカーでありながら当時業界の下位に甘んじ
ていたミノルタ。
起死回生の一撃を放ったミノルタは90年代の業界をリードしていく事になります
その華やかな表舞台の裏側で社内プロジェクト化もされていない(と言うか全く
の極秘で)思惑が静かに進められていました。
掲げたコンセプトは2つ。。
①圧倒的に小型軽量である事
(一眼レフはやっぱデカイよね~的な。。)
②高い描写性能を備えている事
(小型カメラは描写がイマイチてのはアカンやろ!! 的な)
水面下で動いていた技術者達にとって越えなければならないハードルはいくつも
あり、その中でも一番難関は会社の了解を得てプロジェクト化する事。
もちろん採算ベースに合わなければ採用されるはずもありません。
しかしここで神風は吹きます。
コンタックスが先陣を切った『高級コンパクトカメラ』分野に参入する競合他社が
次々と参入。
トップメーカーに駆け上がったミノルタが黙って見逃がす事はなく、正式に開発指示
が出されます
そうして3年を超える開発期間を経て、究極に小型で高画質のカメラ 『TC-1』
が1996年3月に発売される運びとなるのでした。
ちなみに名前の由来は諸説あるそうですが【The Camera №1】の頭文字を取ったの
が有力と伝わっています。。
名前に恥じぬ妥協なき造り
某放送局の人気番組であった『プロ○ェク○X』を地で行くような経緯の元で誕生し
たTC-1はどのようなカメラだったのでしょうか。。
まず企画段階から貫かれた小型サイズについては、外寸でW99xH60.5xD29.5ミリと
正に究極的な小ささ!表面積はほぼ名刺サイズで厚みはフィルムのパトローネ+α
に仕上げるといった苦心作!
これらを実現する為に世に出回っていなかった部品は全て新開発する熱の入れ様!
もちろん外装は高級コンパクトの代名詞のチタン素材をする事で軽くて丈夫を達成。
この2つの事が相まってこの究極的な寸法を現実のものにさせます。
そしてTC-1で絶対に忘れてはならないのが高い描写性能。
光学系においてはこれまた新設計となる『Gロッコール28ミリF3.5』を実装
開発コンセプトにおける様々な制約の中で5郡5枚に構成されたレンズを支えている
のが非球面レンズの存在。
これも当時に製造技術が一気に飛躍した賜物。
さらに切替式を採用した完全円形の絞りはTC-1のもう一つの代名詞!
レンズ先端に装着された絞りレバーを操作すると4段階に絞り羽根が切り替わる優
れもの!
一方操作系は軍艦部に備え付けられたセレクトダイヤルと設定レバーによりカンタン
にセッティング。
(1つ1つ個別設定にする為少し煩わしい事もなくはないですが。。)
もちろんフラッシュ内に視度補正レンズ内臓といったてんこ盛り状態!
これだけの新開発・新技術を詰め込めば当然お値打ちは高くなります。
設定された価格はナント148,000円!(メーカー希望価格ってやつでしたが。。)
ライバルのコンタックスT2が120,000円よりさらに3万円近くの価格でありながらも
TC-1は多くのユーザーを得る事になります。
それは他にはない機能や作りに心を奪われたからに相違ありません
最後に。。
ミノルタ開発陣の熱意と当時の技術の粋を集めて誕生したTC-1。
98年7月には栄誉あるミノルタ70周年の記念モデルとしてブラックペイントされた
TC-1リミテッドを全世界2500台限定で発売。
(あまりの数の少なさに現在ではめったにお目にかかる事が出来ない超プレミアム品)
ことさら話題の欠く事のなかったTC-1は90年代後半のミノルタの代表カメラとして
異例ともいえる7年間の発売期間を経て、後継モデルに引き継がれる事もなくわずか
一代で表舞台から姿を消したのでした