クラシックカメラ カメラのナニワ 心斎橋本店

【コラム】カメラ今昔物語 【オリンパス OM-1 編】

カメラ今昔物語

こんにちは心斎橋本店の たつみ です

さて前回のキヤノンAE-1プログラムコラムも好評を頂きまして嬉しい限り。。
※こちらから→ https://www.cameranonaniwa.co.jp/blogs/2220573646/

特に同年代のお客様より
・コラムを見て久々に出して写真撮ってきましたよぉ 。
・懐かしい!高校生の時に使ってましたぁ!

などなど こうして反響があると非常にやりがいを感じます。(^^v

ということで今回は、昨今多くのフイルム初心者やカメラ女子達からお問い

合わせの多い『オリンパスOM-1』についてのお話です。。


“本家”には負けない想い

過去、他には類を見ない数々の製品を世に送り,都度世間の度肝を抜いてきた

『オリンパス』の創業は思いのほか昔々のこと。

時に大正8年(西暦1919年!なんと今から102年も前 !!)

主に光学顕微鏡の国産化を目指し設立された『高千穂製作所』が源流。
(このあたりの会社が興された理由はツアイスやライツとよく似ています)

さらに自社製品のブランドとして『オリンパス』を商標として届出します
(なぜにオリンパス? 諸説ありますがギリシャ神話の神々の山【オリンポス】
が由来とされており、まぁ「一番とったるぞー!」的な発想みたいです。。)

非常に要約して言えば。。

『ドイツ製は優秀やけどお高いのよね~国産なら安く出来るんじゃないのぉ。。』

的な世間のニーズがあったかは良く分かりませんがとにもかくにも光学製品の

本家本元に劣らない製品づくりを社是として奮闘する事になります。

そして時あたかも第一次世界大戦が勃発。軍需関係を中心に空前の好景気。

明治以降国策で富国強兵をとなえていた日本においては絶好のチャンスとばかりに

さらなる工業化を推し進めます。そこで必要とされたのが顕微鏡などの研究機材。

ところが、全世界を巻き込む戦時においてドイツ製をはじめ優秀な海外製品はどこ

も引っ張りだこ状態となり慢性的に物がありません。。

これは大戦が終わっても続き、さらに国産化のニーズが高まります。

本家(てかツアイス&ライツ)に追いつく為に頑張っていた『高千穂製作所』の

技術力は大きく飛躍しており、この流れに乗ってこの分野でトップメーカーに

踊りでます。

時は流れて1935年(昭和10年)

これまたヨーロッパで花開いた写真機の出現に触発されたオリンパス(てか高千穂

製作所)は内部に研究機関を作ります。

その名は『瑞穂光学研究所』 (ニッポンノヒト、 ミズホッテコトバスキデスネ。。)

ここで製造されたレンズにつけられたブランドが『ズイコー(瑞光)』
(安直ちゃあ安直ではありますが。。)

こうして現在まで続く2大ブランド名が出来上がったのでした。


余所の真似なんてまっぴら御免!

時はさらに流れて1966年(昭和41年)初頭。

社内(もうこの頃はオリンパス光学工業です)である企画が始まります

それは大ヒットしたPENシリーズに変わる主力商品(一眼レフ)の開発について。

責任者は今や伝説の設計技師 米谷 美久(マイタニヨシヒサ)氏。

掲げたコンセプトはどこの真似もしない小型・軽量で使いやすく静かなカメラ。

これらを達成するために会議は延々と繰り返されます。

そして何とか基本案ができたのは丸1年後の昭和42年。

そこからデザインを起こし、構造を考え、試作を繰り返しという作業がひっきり

なしに行われる事なんと5年!(てか始めからだと6年目)

1972年 ついに何処のメーカーにも類を見ない製品『オリンパス M-1』が誕生

します(ちなみにMは米谷さんのイニシャルから来てるとか来てないとか。。)

長い歳月を掛けてようやく日の目を見た新製品を持って同年に当時世界一の見本市

『フォトキナ』に乗り込んだオリンパス。

ところが思わぬ大事件が起こります。

『【M】ハ、ワレワレガサキニツカッテルヨォ!キミラダメダメヨォ!!』

とは言ってないですが、あのライカ(てかライツ社)からクレームが入ります。。

たまげたのはオリンパス側。

すでに初回生産分は製造がスタートしておりストップは事実上不可能。

どうする米谷氏(てかオリンパス)。。

しかしこの窮地を以下のとおり即断します。

ライツと交わした約束は
①初回ロット分はそのまま『M-1』として販売。
②それ以降は名称を変更して再販売する

再度社内で検討された結果名称を『OM-1』に変更することが決定。

早期に問題を収集したのでした。

ちなみに『M-1』は3,000台とも5,000台とも言われているレア品で最近ではあまり見な

くなりました。。
(※台数はもっとあるそうです。勉強不足で申し訳ございません。)

独特なその構造

苦心の末に出来上がったOM-1(本当ならM-1なんですが。。)を振り返りましょう

先ず外観をグルっと見渡すとなるほど余所の真似なんてまっぴらごめん

良く分かります

特徴的なものとしては。。
・軍艦部中央に大きな感度ダイヤル (一般的にはシャッターダイヤルの位置)
・シャッターダイヤルはボディマウント前面に設置(左手で操作が可能)
・絞り込み装置はレンズに組み込み (深度確認も楽々~)
・巻き戻しレバーをボディ上部に設置
・ストロボシューは脱着式(デザインを優先した米谷氏の拘り)

機能面においては、
・メーターは視認性の高い追針式
・マニュアル専用のメカニカルシャッター (1/1000~1・B)

シンプルな作りでありながらカメラマンの使用する事も考えて耐久性も重視。

シャッター耐久は10万回保証を公言するなどその小柄なボディからは想像も出来な

い作り込み。

こうなると売れない訳がなくヒット商品となります。

特に重たくてデカイにへきへきしていたアマチュアカメラマン達から多くの支持を集

めたのでした


最後に。。

誕生間近で思わぬトラブルに巻き込まれ前代未聞の名称変更となったOM-1は4兄弟

として知られています。(ネームを隠すと本当に良く似た金太郎飴状態。。)

前述のM-1・OM-1のほかにモータードライブを装着出来るようにしたOM-1MD。

さらにストロボ関連品の充実に伴い改良を加えられたOM-1N。
あしかけ10年以上基本構造は変えずに製造されたロングヒット商品は次世代モデル

(OM-3)へと役目を引き継ぎ静かに表舞台から姿を消したのでした。

(了)

 

さて今回のコラムはいかがでしたでしょうか?

前回のキヤノンAE-1+Pが初めて手に入れた一眼レフなら、このOM-1は初めて使っ

た一眼レフであります(^^;
(中学の担任の先生から貸してもらいました~ 懐かしい思い出。。)

でもってOM-1 、非常に人気の機種ではありますが個体的にプリズム内の作りが脆弱

なため剥離を起こしている物が多いのも事実。

また露出計にトラブルが出てるものも多々見受けられます。。

さらにバッテリーはMR9(H-D)を用いた為に現在では同型の電池は手に入りませ

んがこちらは代替電池もしくは変換アダプターで代用可能です。

そういった事を含めてきっちりお買い上げ頂くならやっぱりカメラのナニワが一番!
(ここ大事なとこ!テストにでます(笑))

OM-1をお探しの方は是非とも当店にご相談下さい。

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