皆さま、こんにちは。ナニワグループの見崎でございます。
ゴールテンウィークは、皆様はどのように過ごされましたでしょうか?
筆者は、期限切れ寸前の120フィルムを使いきるべく、ゴールテンウィークは、ミノルタをはじめ、様々な二眼レフをお出かけのお供に連れてゆきました。
さて、本題に入りまして、「ミノルタ」ブラントのカメラが消滅して、20年になります。
2003年に株式会社コニカが、ミノルタ株式会社を完全子会社化。
以後、事業毎に分社化され、旧ミノルタ・コニカ時代のカメラ・写真事業を引き継いだコニカミノルタフォトイメージング株式会社も、2006年3月で上記の事業を撤退しました。
カメラ製品はもちろん、テレビCMまで大きな社会的影響を与えてきたミノルタカメラの中から、名機と呼ばれる二眼レフカメラ「ミノルタオートコード」の特長について筆者が撮影した猫写真と共に振り返ってみましょう。
筆者はかつて阪神百貨店フィルムカメラ修理コーナーに勤務しておりましたが、そちらの先代が千代田光学精工株式会社(ミノルタの前身)で働いていたので、黎明期のミノルタについていろいろとお話を伺ってきたものです。
特に、「ミノルタ」ブランドに馴染みないZ世代の皆様はこの機会に触れていただけますと幸いです。
【ミノルタカメラの黎明期について】
武庫川工場(兵庫県西宮市)でベスト判フィルムを使用する「ニフカレッテ」を誕生させます。
「モルタ合資会社」へ組織改正後、初のミノルタブランド「セミミノルタ」が発売されました。
こちらのカメラ、海外製二眼レフの影響を受けた意匠であったものの、「自動巻き止め」「二重露光の防止」「ミノルタ自社生産の最速1/300秒シャッター」など当時としては極めてスペックの高い製品でした。
【ミノルタオートコードの誕生は昭和30年】
歴代の二眼レフを基礎として、完成させたのが「ミノルタオートコード」です。
その後、セレン式の露出計を搭載した「ミノルタオートコードL型」 120フィルム(ブローニーフィルム)を使用しつつ、4x4サイズで18枚撮りに対応できる「ミノルタオートコードRA型」などを発表後、一眼レフ全盛期の1965年(昭和40年)に「ミノルタオートコード cds III」の発売でミノルタの二眼レフはその歴史に幕を閉じました、
ちなみに1955年(昭和30年)頃の物価ですが、高卒初任給5,900円 ・タクシー初乗り80円・喫茶店の珈琲 50円・映画館130円ほどだったそうです。
令和4年の高卒初任給は188,800円ですので、当時の高卒初任給4.6カ月分を現在の初任給で当てはめてみると、「ミノルタオートコードI」は868,480円相当の高級カメラだと判ります。
【ピント合わせがやり易い「振り子式レバー」】
この機構は「ミノルタオートコード」にも引き継がれています。
上から覗き込むファインダーですが、スナップ・ポートレート・ペット撮影でははやく正確にピント合わせができます。
【シャッターチャージが自動 「セルフコッキング」】
現代のフィルムカメラは、撮影毎にフィルム巻上げノブ(レバー)を操作することで、シャッターがチャージされる構造になっています。
昭和30年頃の多くのフィルムカメラは、フィルム巻上げ後、撮影者自身で、レンズ周りにあるシャッターチャージレバーをセットする必要がありました。
また、新しいフィルム装填時、カメラの裏蓋を開けて見える赤点とフィルムのスタートマークを合わせて巻き上げると、コマズレを起こすことなく、1枚目までセットできる「セミオートマット」も採用しています。
【写りに定評ある「ロッコールレンズ」】
4000万画素を超えるデジタルカメラが主流になりつつある今日では解像度重視でレンズの良しあしを判断してしまいますが、60年以上昔のロッコールレンズでは、スペック・数値では判断できない柔らかい描写と高い描写力が人気です。
【最後に】
インターネットオークションの性格上、驚くような低価格で落札できる場合もありますが、大きな不具合を抱えているリスクも多くあります。
カメラのナニワ・レモン社・タカチホカメラで販売しているフィルムカメラ・二眼レフカメラは、1点1点、各種動作・各種状態を点検のうえ、店頭に並べています。
また、店頭で実機を触りながらテストできるほか、購入後に不具合があった場合は初期不良対応も承っております。
はじめてのフィルムカメラ・二眼レフカメラで迷っている方は、是非とも当店でご用命くださいませ。
■猫の飼い主・敷地責任者の許可を得て撮影
モデル協力:エリザベスちゃん・コロくん・ラッキーくん・コナンちゃん・コアくん・てんちゃん・コチョビくん・ミミちゃん他