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カメラ今昔物語 【コンタックス167MT 編】

こんにちは! 心斎橋本店のたつみです。

2024年あけましておめでとうございます。暖冬傾向とは言え、やはり冬の寒さは堪えますね(^^;

でも今しか見る事できない場面も沢山あります。カメラを持って撮影に出掛けましょう!(^^)/

でもって今回も懐かしのカメラを紹介する当コラム。

一部の業界の人に大好評(笑)の『マイナー機種列伝』、第3回目のマイナーさんは「コンタックス167MT」の巻です。

 

【カメラ事業は意外や戦後から。。】

今回の主役「167MT」を語るうえで外せないのが、今は無きカメラメーカー「ヤシカ」の存在。

前身は太平洋戦争終戦直前に設立された八洲精機製作所。いわゆる大手の部品を製造する下請けとしてスタートします。

何とか戦禍も逃れ戦後にはカメラ部品も手掛けるようになり、その流れの中で自社のカメラ製造に乗り出したのが1953年の事でした。

当時の日本は二眼レフカメラ製造がブームとなり非常に多くの企業が携わるようになります。

八州もこの流れに乗り次々とモデルを出し売り上げを伸ばし、1958年に社名を(株)ヤシカに変更。

より小型で簡便な物が望まるようになっていくニーズにここでも上手く応えていきます

1966年に登場した「エレクトロ35」シリーズは、世界でも大ヒットし「YASHICA」ブランドは確固たる物となります(なので今でも外国人の方には馴染みがあるのですね~)

この昭和30年代後半から40年代初頭にかけてヤシカは業界トップに地位に上り詰めました

そして時は流れ1974年。

ドイツのカールツアイスとの提携を発表し新しい一眼レフシリーズを手掛けることになります。

ブランド名は『CONTAX

しばらく途絶えていた誇り高き名前が両社によって復活したのでした。

その1号機となった『RTS』を皮切りにCONTAXカメラは独特な発展をしていきます。

なによりも世界の名品『ツアイスレンズ』をしかも一眼レフで使えるのはCONTAXだけとあり写真家達からは多くの支持を得たのでした。

【経営危機から京セラによる再生】

多くに世間の注目を集めたヤシカ。

しかし度重なる不祥事や不況により業績が悪化。。ついには経営危機の憂き目にあってしまいます。。。

マジか!と提携先のツアイスが言ったかは分かりませんが、ようやく復活したCONTAXブランドは闇に葬られるのか。。

どうするヤシカ。。(-_-;)

この危機を救ったのが京都セラミック(現京セラ)。1983年にヤシカを吸収合併しブランド継続が保たれます。

胸を撫でおろすツアイス&ファン達(想像。。苦笑)

京セラの元で新たな改良をレンズに加えたのがプログラム対応化(俗に言うMM仕様)

 

これに合わせて1985年に159MMを発売(これも今となっては超マイナー機。。(^^;)

これを足がかりにし、87年に『167MT』が発売されることになります

 



【もう少し早ければ。。】

手厚い京セラの元で産声を上げた167MTはどのようなカメラだったのでしょうか

先ずは基本スペックから。。

発売年月:1987年 2月
・型式 電子自動露出制御式35ミリ一眼レフ
・マウント コンタックス/ヤシカマウント(MM)
・シャッター AUTO時:16-1/4000 
    マニュアル時:16-1/4000
・電源 1.5V単4型電池4本使用
・寸法 幅149mm 高91.5mm 奥行き 51mm
・質量 620g 

 

いや~さすがに良家のお坊ちゃまは良く出来てます(笑)

・プログラム&両優先AE搭載
・シャッタースピードは当時の最速1/4000!
・内蔵ワインダーによる電動巻き上げ&巻き戻し!
・機能操作はボタン&レバーにより先進性をアピール

 


これにとどまらず世間をアッと言わせたのが世界初「ABC機能」! 

てか ABC?。。

これは【Automatic Brackting Control】の略称で、今では当たり前になった露出をずらしての連続撮影を世界で初めて実用化。

そして肝心の目玉はツアイスレンズ

もうこれでもかと言わんばかりの当時最高スペック!

話題にならない訳がない!(お約束)

もちろん専門紙は取り上げましたよ。。(仕事ですから)

でもすでに世の中に期待はAF一眼レフに移っていた頃。しかも値段が高い上にボディの重量や大きさが仇となり、ひっそりと業界の傍らで生きていく運命を辿るのでした


【最後に。。】

様々な工夫を凝らされていた167MT。

時代の流れとはいえ過酷な運命を歩むことになろうとは。。

しかし名家「CONTAX」ブランドを守り続けたのもこの167MT。

1990年にフラッグシップ機 RTSⅢが登場するまでの数年間に渡り1機種で孤軍奮闘します。

さらにその完成度の高さから1997年まで延べ約10年に渡り製造されたロングラン機種でもありました。

そこまで貢献しながらも現在での人気は後継機のAriaの影に隠れる始末。。

悲運の名機はいまもひっそりと傍らで佇んでいるのでした


(了)

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