カメラ今昔物語 【ニコン F-301 編】

こんにちは! 心斎橋本店のたつみです。

今年は本当に季節が進むのが早いですね(^^;

各地で気温が上昇しすでに夏を思わせる雰囲気です。

その分緑も生い茂りますます撮影するのに絶好の機会が多くなります。お気に入りのカメラを携えて出かけましょう(^^)

そしてコアな方々から熱烈な支持を頂いております当コラム『Theマイナー機種列伝』!

第4回目のマイナーさんは「ニコン F-301」の巻です


大きなうねりの真っただ中で。。

今回の主役 F-301は1985年9月に発売されました。

1985年。。もう皆さんもご存じの通りミノルタα7000によるAF化が実現されました。

カメラ史において100年に一度と言われる事になる大変革が起きた年です。

もちろんミノルタだけではなくニコンを始め各社もそれなりにAFについての開発は進められていたようですが、技術的な部分において未熟な部分が多く、『まぁ~いずれそのようなカメラが出来れば良いよね~』感が業界では一般的でした(あくまでも推測です(^^;)

その最中に、当時販売面では下位に甘んじていたミノルタの渾身の一撃はメーカー各社に大きな衝撃を与えたのでした。


αショックがもたらしたもの

その頃のニコンは長い歴史に支えられ業界の雄として君臨。

写真家や多くのプロカメラマンが愛用した事で数々の逸話を生み出した、正に『THE カメラメーカー!』とういう存在。

トップセールスこそ他社に譲っていたもののそんな事には動じない王者の風格を見せつけていました。

またニコンによって生み出された新機能も多く、その技術力は決して他社に劣るものではありませんでした。

しかし突如として吹き込んだ「αショック」は王者の足元を揺るがします。

ニコンのお株を奪うような最先端機能のオンパレード。。

・AFの実用化

・内蔵のフイルム自動巻上及び自動巻き戻し

・フイルム感度の自動設定

等々。。

ボクシングで言うところの、いきなりカウンターパンチを食らったような感じだったかもしれません。(もちろんあくまでも推測です(^^;)

当時は本格的なAE化を迎えていた時代で各社それこそ血の滲む思いでそれに対応し製品開発を成し遂げた矢先にこの大波!

どうする王者てかニコン!(お約束。。)

『何とかしなければ。。(-_-;)』(こちらもお約束。。)

と思ったかどうかは分かりませんが急ぎこの大波に対象しなければなりませんでした。


先ずはステップを踏んで。。

αの新機能を目の当たりにして直ぐに全ての対応が取れるほどニコンでは準備が整ってはいませんでした。

前述の通り、AFに対する研究・開発は進められていたようですが直ぐに商品化するだけの道筋が出来ていませんでした。

また当時一部のメーカーで採用されつつあった内蔵自動巻上についてもニコンでは実装されておりませんでした。

よし先ずはステップを踏んで足固めだ!

と言ってはないと思いますが、対処できる機能を優先し商品開発を進めていくのでした。

その足掛かりとなる新機種「F-301」を85年3月に発売するのです。



礎となる新機種

大きな役目を背をって登場したニコン F-301。

どのようなカメラだったのでしょうか? 先ずは基本スペックから。。

発売年月:1985年 9月
・型式 電子自動露出制御式35ミリ一眼レフ
・マウント Fマウント
・シャッター B・1-1/2000
・電源 :1.5V単四4個使用
・寸法 幅148.5mm 高97.5mm 奥行54.5mm
・質量 570g(電池除く) 
・価格 68,000円

当時の極々平均的なカメラと同様のスペック。

そしてニコンの代名詞となっていた1/4000秒&1/250シンクロも見送られています(これは些か残念。。)

ボディサイズも従来機より一回りデカくなってしまいました。。

これは自動巻上の内蔵化に伴う処置につき致し方ありません(^^;

代表的な新採用の機能としては

・モータードライブの内蔵(1コマと連続(2.5コマ)切り替え可能)

・プログラムAEを標準・高速の2種類採用!

・イージーローディングの実装

・フイルム感度の自動設定(DX)採用

・別売りのマルチデーターバック(MF-19)を開発

・TTLプログラムフラッシュに対応

ともなくAF以外でやれる事は全てここにぶっこむような勢い!

話題にならない訳がない!(超お約束!(笑))

セカンドカメラとして購入する一部のニコンファンに刺さります(現に筆者のニコン党の友達も買ってました(^^;)

反面、操作性に関してはシャッターダイヤルと手動巻き戻しは維持。。


またバッテリー室の関係により三脚取り付け位置がとんでもない位置に。。(苦笑)


キヤノンT70のように思い切れなかったのは時間がなかったからなのか、ユーザーの事を意識したからなのか定かではありませんが、先進性においては少し見劣るデザインに評価は分かれました。


最後に。。

突然の荒波に対応するべく実験的な役割を担い急遽世に送らる事になったF-301。

翌86年4月に301をベースとして誕生するAF1号機 F-501にその役目を引き継ぎます。

しかし、業界を巻き込むAF化の嵐に翻弄されながらも、その後数年に渡り販売され続けられる事になります(販売数量は一説によれば約70万台とか!)

後に発売された本命機よりも発売期間が長くなるとは思いもよらなかったかも知れませんね(苦笑)

そして現在において多くのセールスを記録しながらその姿をほとんど見かけなくなりましたが、F-301が残した功績は大きな足掛かりになった事だけは間違いなさそうです

(了)