こんにちは! 心斎橋本店のたつみです。
今年は梅雨入りが遅れましたが、やはり例年同様にしっかりと雨が降っています。
撮影するのも億劫になりがちですが、雨だからこそ映えるシーンも多くあります。お気に入りのカメラを携えて出かけましょう(^^)
またこの季節は写真機材にとっては湿気との闘いになります(^^;
撮影後はいつも以上に念入りにアフターケアを心がけしましょう!(* ̄0 ̄)/
そして毎回編集長の締め切り連絡に怯えながら(笑) 隔月でお送りしております
『Theマイナー機種列伝』!
第5回目のマイナーさんは 前回の続きも兼ねて『ニコン F-501』の巻です
【とにかく必死のパッチ。。】
ベースとなったF-301は前年の9月でしたので、約半年で販売にこぎ着けました。
先行発売を許し世の中に空前のAF一眼ブームを巻き起こしたミノルタα7000の牙城をなんとしてでも崩すべくニコン(てか技術陣)は“必死のパッチ”で新型機の投入に踏み切ります。
そこにはニコンの意地が色濃く反映されていました。
遡る事3年前の1983年4月、当時プロ用カメラの代表格となっていたニコンF3にオートフォーカス機構※を採用した『F3AF』を専用レンズ2本と共に追加ラインナップします
(※位相検出方式、レンズ内モーターなど現代に通ずる先進的な製品!)
いかにもニコンらしいというか、ある意味突拍子しもないこの製品に対して世間の評価は分かれます。。
プロ機にAFって。。(^^;
今じゃあたり前ですが当時のAFってお世辞にも使い勝手の良いものではなかったのと、値段がF3アイレベルの倍以上では売れる訳はありませんでしたが、社としての技術力の高さを誇示する事は出来た訳です。
【次世代に向けての作戦】
F3AFの開発・販売を成し遂げたニコン。
その数年前から社内では次世代のカメラ機構についての作戦は始まっていたようです。
主には。。
・高速・高精度のオートフォーカスの実現
・モータードライブの内蔵化(自動巻上&自動巻戻)
・AEのマルチ化
などなど。。
他社を含めてそれぞれの課題に取り組み、それなりの機種はいくつか発売されますがどれも決定力に欠け、主力機には程遠くラインナップの一部として甘んじる始末。。
『そもそも全ての機能を一緒に入れる意味はあるの?』
といった事が話し合われたかどうかは定かではありませんが(お約束。。)
それぞれが独立したプロジェクトとして進行していくようになります。
まぁ~80年代の初めの頃って機能面においてはまだまだコンサバな考え方が幅を利かせていた時代でしたからね~。
特に『ピントは鍛練をして技術を磨くもの!』な~んて言われてましたし、まだまだ手動でピント合わせした方が早いって世の中が思ってましたしね。。
ところがそんな各社の思惑を全て吹っ飛ばしたのがそう『αショック』!
AFが一番センセーショナルだったのでそこに注目が集中しましたが、実は各社が考えていた事を全てブッ込んできた事が業界にとっては一番のショックだったはずです。
さぁどうするニコン!?(てか技術陣)
悠長にそれそれのプロジェクトを進めている余裕は一気になくなりました(-_-;)
その穴を少しでも早く埋めなけばなりませんが準備が整っていません。。
ともかく時間稼ぎ的に先ずF-301を投入!
続いてそれをベースとしてAF機構を組み込んだF-501を86年4月に発売するのでした
【AF時代の1番バッター】
ニコンのプライドを掛けて世に送られたF-501
どのようなカメラだったのでしょうか
まずは基本スペックから。。
発売年月:1986年 4月
・型式 電子自動露出制御式35ミリAF一眼レフ
・マウント Fマウント
・シャッター B・1-1/2000
・電源 :1.5V単三4個使用
・寸法 幅148.5mm 高101.5mm 奥行54.5mm
・質量 約620g(電池除く)
・価格 89,000円
恰好そのものはF-301と瓜二つ。。(そりぁそうだ。。苦笑)
寸法が若干高くなったのは標準バッテリーを単4から単3に変更したためで、これはAF化に伴いバッテリー消費を考慮したもの。
さらに基本的な機能もまんまF-301ですが、プログラムAEが2つから3つになります。
でもって肝心のAF機能は。。
・ハネウェル社(米国)のセンサーモジュールを採用した位相検出方式
・マウントはFマウントを改良したボディ内駆動方式
・切り替えレバーによりシングルAF⇔コンティニュアスAFの切り替えを実現
αの登場以来1年余り遅くなりましたがライバル追撃の為の新型機種だ! 話題にならない訳がない!(超お約束!(笑))
カメラ雑誌においては両社の比較記事で世間を賑やかします。
しかしいくらニコン製とはやはり二番煎じ感は払拭できません。。
機能面はともかくデザインや操作性に関して従来のカメラのイメージを拭い去れなかったF-501では風穴を開けるまでには至りませんでした。。
最後に。。
ニコンのプライドを何とか守ろうと登場したF-501。
兄弟機301と共に間に合わせ感は最後までまとわりつきライバルの引き立て役となってしまった悲運のカメラ。。
しかし激しく時代が変わろうとする中、それほど多くない開発期間でニコンが見せた技術力の高さはやはりスゴイものがあったと思います。
当時のカタログの冒頭にはこう記されてありました。
『ニコンの本質を変えず、ニコンを革新していくということです』と。。
カッコいいじゃないですかニコン(^^)v
(了)